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取材日:2016年04月24日 知多

大野祭 常滑市大野

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川に浮かぶ巻藁船と橋上に並ぶ三輌の山車の共演、大野祭はここでしか見られない風景で楽しませてくれる。鉄道のなかった江戸時代において、物資は海を通って運ばれていた。日本地図の大阪から東京までの海岸を見てみると、知多半島がいかに海運の中継地として適していたかが見えてくる。入江の入口は狭い伊良湖水道だけで太平洋の荒波からは隔離された安全地帯だ。かつて醸造と海運で栄えたというのもうなずける。尾張大野はそんな知多半島の醸造と海運の町として江戸時代に繁栄した。また、徳川二代将軍秀忠の妻、お江の方の最初の嫁ぎ先がこの大野であり、天下人秀吉に翻弄された悲話の舞台として、ドラマにも登場しているので知っている人も少なくはないだろう。そんな歴史の町、大野で行われてきたのが大野祭だ。大野の祭が他地域と少し違うのは、組ではなく、町内で分かれた町によって執り行われることだろう。つまり、それぞれの町ごとに氏神も異なる祭の集合体が大野祭ということになる。さらに、興味深いのは山車祭りでよく見られる神輿渡御はなく(御輿は山車のない他町にはあるらしいが)、しかも山車に載る人形は一般に多く見られる殿様人形というより神様人形といったほうがいいものが載っている点だ。私が今回、おもに付いて回った唐子車には「塩土老翁(しおつちのおじ)」が載るが、これは唐子車の高須賀町の氏神社、小倉神社の御祭神なのだ。とくに神事があるわけでもないが、御祭神の人形が上山に載るというのはあまり見たことがない。また知多半島にありながら、徳川家や名古屋と縁の深い土地柄のためか、山車は名古屋型の山車が使われている。それぞれの山車には立派なからくり人形があり、さらに、巻藁船の権丸もあって、なかなか見応えのある祭だ。
祭は宵祭と本祭の二日間にわたって行われる。最初の宵祭の日は途中からあいにくの空模様となったため、梅榮車は曳行を取りやめ、川に浮かぶ権丸とともに橋の上に並んだのは唐子車と紅葉車の2輌となった。各町の祭の集合体だからこその展開と言えるかもしれない。本祭は天気もよく祭日和となった。山車蔵から曳き出され、出会いの儀から3輌揃い踏みでの曳き回しの後、この祭最大の見せ場、大野橋での権丸との曳き揃えとなり、からくり披露のあとしばらく曳き廻され、別れの儀となり、各車は町内を曳き廻されながら山車蔵へと戻っていき祭は終了する。
大野町は私の故郷であるため、祭の関係者には同級生や知り合いも多いが、聞くところによると、やはり少子化の影響もあって、祭の担い手の確保に苦戦しているそうだ。祭の意義が社会に浸透し、祭に積極的に参加する人が増えることを願ってやまない。


開催時期:5月3,4日(年によって変則日程あり)
ところ:常滑市大野町
交通:名鉄大野駅から徒歩


 

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日が暮れる頃、巻藁船の提灯の準備が始まる

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江崎社と権丸

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権丸の提灯は回転するのが特徴

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大野橋に向かって進む権丸

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大野橋での山車との共演、残念ながら1輌は天候のため曳行されなかった

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本祭の朝、唐子車に載せられる殿様人形、塩土老翁(しおつちのおじ)

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名古屋型の山車祭では楫方は格子柄の装束が定番となっている

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出会いの儀、ここからいよいよ祭本番

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楫方は山車祭りの花形

 

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3輌の山車が大野橋の上に並ぶと、見物人も増えてくる

 

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梅榮車のからくり

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紅葉車のからくり

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唐子車のからくり

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唐子車の采振り人形

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采振り人形は表情豊か

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別れの儀、ここから山車は各町内を曳き廻され山車蔵に向かう

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どんでん、大野では時間を掛けて降ろす「間」で見せる

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国際色豊かな楫方、彼らは日本人よりも日本人らしさを持っている

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狭い路地を進む唐子車

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山車が蔵に納まった後、囃子方が最後を締める

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